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酒折山の自然・地誌

酒折山は山梨県甲府市酒折町に所在し、中央線酒折駅の北方、北バイパス(主要地方道甲敷島・韮崎線)が山麓南裾を貫き、甲府北部山地の一部を占める。また酒折町の東西には江戸時代に整備された五街道の一つである甲州街道(国道140)が走り、1903年(明治36)開通した中央本線が山裾を走っている。
酒折山周辺の自然地質は甲府北部火山地に属し、第三紀鮮新世から第四紀更新世にかけて陸上で噴出した主に安山岩質の溶岩流・火砕流の山地である。表層地質図によると、水ヶ森山(1653m)と棚山(1117m)安山岩質集塊岩(Ag)と安山岩質岩石・凝灰石礫岩(Ab)が甲府北部火山地を覆う表層地質となっている(図1国土庁1973)。甲府北部火山地のうち、甲府市山崎と笛吹市松本には「山崎石」として知られる安山岩の採石場があり、甲石社・山崎石材工業所をはじめに石材工場や石材店がならんでいる。甲石社と山崎石材工業所の採石場は伴部山南端を長さ40m幅150mにわたって露天掘り工法で採石しており、かつては標高35mの板垣山があった。
酒折山南腹にシャトー酒折ワイナリーの西方に岩盤が削られている標高350mの所も、昭和後期1958年頃からの山本石材店の採石場跡である。ねずみ色をした輝石安山岩は墓石、灯籠などの石造物に江戸時代から多くつかわれ、甲府城跡の石垣も一条小山の岩盤から同石質の採石した石をつかっている。
山崎石は近年は鉄道用や土木建築用の砕石として用いられている。八人山東側の横根町の扇状地は輝石安山岩の角礫・円礫の土石流堆積物が厚く覆い、三ッ石から流れる大山沢川は南へ下降し、和戸町で十郎川となっている。地理的には酒折山は、甲府盆地北部の要害山や石和・春日居の棚山と連続した山地であるが、甲府市横根町の八人山(標高570m)が南方に酒折宮と山崎へ突き出ている545mと485mと454mの三つの峰を称する。酒折山の現存植生図(図2)では、クヌギ-コナラ群集(39)がほとんどで、東西南の一部にアカマツ植林(50)、山麓扇状地はブドウなど落葉果樹林(51)になって、山のほとんどは代償植生の落葉広葉樹林または人工的な植林地やぶどう畑で占めている。
入会山の名称があるように、里山として、薪炭林として使われていた(植松1985、1986)酒折山には、タヌキやウサギなどの里山に一般的な動物が生息し、八人山東腹はオオムラサキの隠れた生息地である。甲府北部火山地の一角である甲府市愛宕山北部ではツキノワグマの出没被害が報道されているが、酒折山続きはクマのテリトリーに入る可能性は少ない。
山続きはクマのテリトリーに入る可能性は少ない。ただし現在は里山の維持管理がほとんど放棄されているから、酒折宮旧社地までは人は訪れるが、伴部山の尾根路は人の立ち入りは少ないので、笹や茨が繁りかなり荒れている現況である。
この酒折山は『甲斐国志』では「板垣御林山」「月見山」「伴部山」「小物成山」などと称されている。小物成山とは入会山・入会地の通称で、稼山とも呼ばれた慣行共有地で、地域の住民が慣習的に、共同で一定の公林に入り会って、林野産物を採取したことから付けられた名称である。
八人山は、所有者が八人であったことから付いており、里山でもある入会山についての固有名詞である。『甲斐国志』巻二十二山川部板垣御林山縦三拾二町横拾八町板垣東光寺二村ノ北ニ亘リ東西北ハ古府中積翠寺ノ御林山ニ連ナレリ。東ハ善光寺ノ山林、坂折村小物成山等ナリ。鏡台山、月見山ハ山ノ形ニ似タルニ因ッテ信州更科ニ或ル小名ヲ擬シテ後人ノ名ツクル所カ。伴部山或ハ巴山ト作ル其ノ続キニ在リ。東ノ山觜ヲ此ニテモ山埼ト云フ。山頭ニ烽火台ノ跡アリ。『甲斐叢記』 今酒折村に伴部山と云うなり 或いは巴山又鞆絵山と呼ぶ 鞆は日本紀和名止毛と記して共に軍器なり 弓手に着けて弦を避けるの具 その文は巴を絵きたれば是を鞆絵今にもまま同じ 此の山草莽の間岩石欠け落ちて自ら巴の状をなせり 故に巴山と名づくといへり  伴部鞆絵仮字を違いたれど是は後世に訛りたるべし
これらの江戸時代後期の地誌から、酒折山西部は月見山、その東部は伴部山または巴山と呼ばれていたことがわかる。
また、1891年(明治24))の陸軍陸地測量部の「正式2万分1地形図甲府石和」(図3)によると、里垣村字坂折と甲運村字横根にまたがって山があり、その南東先端にある板垣山(標高324.9m)に採石跡2箇所が部分的にみられるものの、ほぼ元の地形を留めている。 

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