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史跡特集

ぶらり酒折名所の旅 Part 3

今日もさかおり周辺の名所を捜し求めて意気揚々と道を歩んでいると、何やら祠(というのでしょうか)を発見。早速近寄ってみることに。

安産子安地蔵尊

安産子安地蔵尊

入り口には「安産 子安地蔵尊」の文字が。
子安地蔵は「安産祈願・子授け・子育て・水子供養」等、主に子どもと妊婦に関することを見守ってくれるお地蔵様です。奈良時代「行基」という僧が開祖と言われています。
行基は国が仏教の布教を禁じた時代、禁を破って民衆・豪族問わず仏法の教えを説き、人々から崇敬された方なんだとか。日本地図の原型となった古式の日本地図、「行基図」を制作した人物でもあるそうですよ。
関東地方では既婚女性による子安講とか地蔵講と呼ばれるものがあり、女性が安産や子育てを祈ったそうです。内容は、子安地蔵にお詣りしてから当番の人の家に集まり、お菓子を食べたりお喋りをしながら一夜を共に過ごすらしいです。要するに婦人会ですね。

安産子安地蔵尊

東光寺東部自治会婦人部から収められた日よけの布(?)もありました。小さな祠ながら、地域に愛されているのですね。

近くには、良く見えませんが「三界萬霊」と彫られた石碑が鎮座していました。仏教語で三界は、欲界・色界・無色界を指し、萬霊というのは欲・色・無色界の精霊など、あらゆる世界を指します。そして、争いの絶えない世の平安を願って、無縁の霊をも篤く祀った石碑がこういった三界萬霊の碑なのだそうです。この小さく見える石にそんな壮大な世界と願いが表されているとは…。風景の中にも、調べてみると面白い発見があるものですね。


>大宮山一行院 誓願寺

大宮山一行院 誓願寺
浄土宗に連なるこちらの寺院は、大永元年、三月古府中にて創建され、文禄四年に現地東光寺に移り四百余年になるそうな。立派な門に綺麗な拝殿。平成3年に新しく立てられた建物は、非常に綺麗です。

>大宮山一行院 誓願寺

何より庭園が美しい!これぞ日本庭園といった様相で、一見の価値ありです。
許されるのならここでお茶会を開きたい。
庭園を散策していると、元甲府市長 原 忠三から寄贈された灯篭を発見。
とってもさむ~い日だったこの日、龍の口から流れる水もカチカチに凍っていました。

開山は辨誉印公上人、開基は武田左京大夫信虎公。武田信玄の父ですが、嫡男・信玄公ではなく、次男信繁に家督を譲ろうとするも、信玄公に無血ク-デタ-を起こされ、あわれ信玄公伝説の悪役的存在となってしまった方です。

この誓願寺、最近まで現在の山門前に温泉がわいていたそうな。といっても20℃ぐらいの殆どプール状態の温度しかなかったそうですが、それでもかすかに硫黄のにおいがする温泉が湧いていそうですよ。


郷社山八幡神社

郷社山八幡神社
やや高いところに位置するこちらの郷社山八幡神社。もともとは竜王町に在ったものを甲府八日市場に遷座し、更に甲府城築城の際に、社地が石山だったことから、城の建設の為の石を採るために現在地に移されたそうです。八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、全国の武士から武神、「弓矢八幡」として崇敬を集めたんだとか。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、実在性が濃厚な最古の天皇、応神天皇と同一とされています。

高いところにあるだけあって、神社から眺める町並みの風景は中々。夕焼けのときなんかに来たら、きっと最高でしょう。ご近所にデートに来た際なんかはいかがでしょうか。そんなに階段は多くないので、気軽に登れますよ。何気にスロープ完備でバリアフリーですね。

風景を眺めていると、何やら視線を感じました。振り返るとそこには…!
ふっかふかの猫さんの姿が…!
しかし視線が絡み合ったのも一瞬のこと、猫さんは足早に去っていきました。少し切ない。きっとここは彼(女?)の縄張りなのですね。

郷社山八幡神社

階段を上りきった先には拝殿が。力強い立派な注連縄がまさに神社という趣です。拝殿の奥に進んでいくと、もう一つ殿が。こちらが神楽殿のようです。 朽ちて現在使われている様子はないものの、その朽ち具合がまた歴史を感じさせてくれます。「昇格記念碑」と書かれた石碑もありました。郷社(地方官(県や市)の管理下にある社のこと)に昇格した際に建てられたようです。

境内には良純親王命名といわれている「妊懐石」と呼ばれる石があり、これは古代の天体図石の一部なんだそうな。しかし発見ならず…残念です。

郷社山八幡神社

さらに奥に進んでいくと3つの摂末社が。手前にはシンプルな鳥居に小さな社、特に名前らしきものは見あたらないので、何を祭っているのかは不明でした。真ん中の最も高いところにある鳥居。「松尾神社」と書かれていました。八幡神社の敷地内にあるように見えましたが、違うものなのでしょうか?特に社は発見できず。

一番奥には赤い鳥居が。八幡神社の入り口にあったものと同じものですね。こちらにも社は無く、鳥居のみが草の中に存在していました。狛犬も町を見守っています。一見何も無い様に見える空間に存在する鳥居、歴史を感じさせる神楽殿など、町並みを見下ろすように建てられたこちらの神社は、ちょっとした非日常空間を楽しむことが出来そうですよ。


来迎寺 来迎寺

身延線の線路沿いにあるこちらの来迎寺、正面の門は閉まっており、立ち往生していたところ、横に小さい入り口を発見!いつも正面がしまっているのかはわかりませんが、もし開いていないときは正門の横に回ってみましょう。入り口掲示板にて俳句を発見。

耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花

作者の名前は不明ですが、2月、これから梅の芽吹く時期にぴったりの俳句ですね。
もしや毎月張り替えられているのでしょうか?

中に入ってすぐに立派な鐘とご対面。年末にはご近所の人がつきに来るのでしょうね。

来迎寺

境内にてお地蔵様たちを発見。延命地蔵尊は災厄を払い除け、割と各地で見られるお地蔵様です。真っ白な衣に赤い前掛けが似合っています。こちらの子安地蔵尊は、安らかな表情とふくふくとした丸い頬が、安心感を与えてくれますね。何やら向かい合ったお地蔵様達もいます。かさ地蔵を髣髴とさせる光景ですね。

近くの石碑には「三男萬霊」…?いや、多分「三界萬霊」ですかね。世の平安を願って、無縁の霊をも篤く祀った石碑です。名前はわかりませんが、大きな女性の仏様もいました。

来迎寺

いよいよ拝殿へ。黒い屋根瓦の落ち着いた雰囲気の拝殿です。近づいていくと、武田の花菱の紋を発見。武田氏にゆかりのあるお寺なのでしょうか? 拝殿の屋根の下には、なにやら金ぴかの飾りがありました。奥には「山衆聖」の文字。

衆聖」は沢山の聖者たちの事を指し、仏教では諸仏のなのだそうなので、「山衆聖」は山を守る仏様達ということでしょうか。山に囲まれ、山と共に暮らしてきた山梨らしいですね。

帰りがけ、ふと下を見ると拝殿の近くに、屋根のようなものを発見しました。その近くに何やら可愛らしいしゃちほこのような生物も。狛犬でしょうか?小さい足の形とかこっちを見ている様にしか見えない目、したりラインに見えなくも無い口元。とっても愛嬌があります。いっそマスコット化してお守りなどにして欲しいですね!


金剛比羅神社

金剛比羅神社
金手駅近くの踏切を越えてすぐのとことにあるこちらの金剛比羅神社。香川県の金刀比羅宮を総本宮として、その主祭神である大物主神・崇徳天皇を祀る神社で、海運業者や商人によって広められたそうです。境内にある由緒書きによると、江戸時代初期の金山奉行・大久保長安が金銀採掘成就のため、屋敷内に建立したものだという説もあるのだとか。江戸時代後半には、誓願寺近くにあった玄昌寺の境内に、金刀比羅堂がまつられていたそう。その後、玄昌寺が廃寺になり際、お堂は神社に改められ、現在地に移ったのだとか。

銅葺きの社殿は、小さいながらも地域に密着した歴史と趣を感じます。社殿の両脇にお座りしている狛犬は、尻尾が横に流れているあまり見ないタイプです。太い前足が力強いですね。

金剛比羅神社

社殿の左手には何やら石碑が。まったく読めませんが、どうやら芭蕉の句碑らしいです。

みちばたの 槿は馬に 喰ハれけり
(意味:道ばたに咲いていたムクゲを馬上から見つめていたら馬が食べてしまったよ)

と書いてあるらしいのですが、それが分かってもやっぱり読めませんでした。

紀元二千六百年記念」と書かれた石碑を発見しました。
紀元2600年って一体…?と調べてみたところ、紀元2600年は神武天皇が即位した年を元年として数える暦で、和暦でいうと昭和15年。その年は記念の年で、全国でいろんなイベントが開催されたそうな。「紀元二千六百年」という曲も作曲され、替え歌まで出回る流行曲だったそうですよ。この石碑のそのイベントの内の一つということなのでしょう。

また、境内の中には丸い道祖神様もいました。危険な線路を背に境内を守る道祖神様。頼もしいです。壁には地域の方の手書きと思われる地図が。きちんと金刀比羅神社もあるだけでなく、境内内の配置まで再現されています。地域に愛される神社という感じがしますね。境内にはちびっ子広場があり、ご近所の子供達が遊ぶことが出来ます。

地図